2000年から2001年にかけての輸出のスイングは20%にもおよぶので、これだけで実質成長率の3%ポイント(輸出のスイング20%×輸出のウェイト0.1×輸出乗数1.5と考えれば3%となる)の変化が説明できる(98年のマイナス成長の一部も輸出の減少で説明できる90年代の公共投資の動きを見ると、92、93年の大幅な増大と、その後の激しい変動が注目される。
92、93年では公共投資の急激な増大にもかかわらず、実質GDPは回復していない。
しかし、96年の増大と97年の減少には、実質GDPは連動している。
ただし、公共投資の大きな変動にもかかわらず、実質GDPは小さく反応しただけである。
98年には、公共投資はほぼ中立的なスタンスにもどったにもかかわらず、実質GDPは石油ショック以来、戦後2度目のマイナス成長となった。
99年には、公共投資は増大したにもかかわらず、実質GDPの伸びはわずかであった。
2000年には、公共投資は削減されたにもかかわらず、実質GDPは高まった。
以上を総括すると、金融政策が発動され、マネーサプライが増大するときには、ほぼ必ず実質GDPが増大しているのに、公共投資が増大しても実質GDPが増大することはそれほど多くはないということである。
また、マネーサプライの増大にもかかわらず実質GDPが増大しなかった年については、その理由(円高、輸出減少、消費税)を見出すことは容易であるが、公共投資に実質GDPが反応しない理由は簡単に見出すことができない。
ここまでは、簡単なデータの整理によって真実に近づこうとしたにすぎない。
データを見ながらの説明に、特定の年を強調した盗意的なものではないか、という疑いをもたれるかもしれない。
私は、80年以降のすべての年について、マネーサプライと公共投資がどのように動いてきたかをできるかぎり公平に説明したつもりだが、96年と97年に着目すれば、ここで私が述べたことと異なる結論を導き出すことができるかもしれない。
96年は公共投資の増大によって景気が順調に拡大していたのに、97年にそれを抑制した結果、不況に陥ったという解釈である。
たしかに、この2年だけに着目すれば、そういえないこともない。
では、それ以外の年はどう説明するのかという疑問が残る。
そこで次に、より恋意性を排した統計的手法によって、80年代以降の経済変動がどのように説明されるかを見てみよう。
しれない。
大停滞は、なぜ起こり、なぜ続いているのか。
ここでは、実質GDPを実質公的資本形成、コールレート、マネーサプライ愈10CD)、為替レート、物価(GDPデフレータ)、GDP統計における実質輸出などで説明する計量的モデルを構築し、金融変数(コールレート、マネーサプライ)と財政政策のショックが実質GDPをどれだけ説明できるかを計算した結果が図である。
統計的手法によれば、長期の時系列において、どの変数が実質GDPをよりよく説明するかについて、特定の時期を強調することなく、より一般的に判断できるからである。
もちろん、統計的手法にはさまざまなものがあり、手法によっては異なる結果が生まれることもある。
ただし、ここで重要と考えた変数(マネーサプライ、金利、公共投資、為替レート、輸出、物価)をすべて考慮した計量分析によれば、以下に示す以外の結果はあまり出てこない。
いずれも効果の大きさは多少異なるが、金融政策のショックが大停滞のかなりの部分を説明しているという結果は共通している。
この結果によれば、80年代後半の実質GDPの伸び率が高まった時期において、2%程度をマネーサプライの伸びが支えていることがわかる。
90年代はじめのGDPの伸びだが、これまでも述べたように、86年からのマネーの増大は、円高不況に対処する景気刺激策の一環として行われ(このときには公的資本形成も増大され、金融財政両面からの刺激が行われた)、91年からのマネーの減少は、地価が3倍にも増大するというバブルに対応して行われた金融引き締めの結果である。
したがって、マネーの説明力の大きさに異論があるとしても、マネーが80年代後半から90年代前半の経済変動の要因であったことを否定することはできないだろう。
金融政策による反動と長期停滞の脱明大停滞が金融政策の誤りによって生じたということをさらに完全に示すためには、2つのことを説明する必要がある。
第一は、80年代後半から90年代はじめにかけての経済変動が金融政策の変動によって起きたことを示すことである。
第二は、90年代央以降の長期停滞が金融政策によって生じたことを示すことである。
第一の変動が金融政策によって生じたことはすでに説明したが、これはむしろ定説といってよいだろう。
N銀行(の金融研究所の研究)も、「(90年代の経済停滞は)すべてがバブルの責任ではないが、バブルの逆噴射がなければ少しは被害が少なくなったはずである」と結論づけている。
第二に、金利が低下した結果、資産の割引率が低下して資産価格が上昇する。
資産価格が上昇すれば、人びとは豊かになったと考えて支出を増大させる。
第三に、国内債券の金利が低下するわけだから、資金が流出して為替が下落する。
為替の下落は輸出を刺激し、生産を増大させる。
不況期であれば、需給ギャップもあり、支出が増大しても物価は大して上昇せず、生産、雇用が増大する。
この過程が続いていけば、やがて中央銀行がベースマネーを増大させて金利を引き下げる(金利を引き下げた結果、ベースマネーが増大すると考えてもよい)と、第一に、設備投資、耐久消費財、住宅、在庫への支出が刺激される。
金利が下がれば、将来支出しようとしていたことを、いま支出しようとするか第二の停滞が金融政策によって生じたということは定説ではない。
10年以上にもわたる停滞は、金融政策によって生じたとは考えられず、なんらかの構造問題によって生じたと考えるべきだというエコノミストは多い。
ただし、第1章でも述べたように、そう主張するエコノミストが、停滞をもたらした構造問題の内容についてはなにも答えることができない。
第一段階の問いと、第二段階の問いの両方に答えるために、まず、金融政策はどのような経路によって経済を刺激するのかを考えてみよう。
この状況を見て、金利をさらに思い切って低下させた結果、為替は円安方向に動き、輸出と設備投資が増加しはじめた。
マネーサプライの伸びは95年にやっと3%に回復した。
その結果、95年、96年、少なくとも97年の前半までは景気も回復した。
ただし、99年以降はコールレートもほとんどゼロになってしまい、経済は金利に反応しなくなっているようである。
実質GDPは、2000年には回復したものの、長期的に見れば1%の低い成長を続けている。
この間、マネーサプライは、ほぼ3%余で動いてきた。
需給ギャップも縮小し、物価も上昇するようになる。
80年代央では、このすべてが起きている。
86年からの為替レートの上昇に対して日本銀行が金利を引き下げた結果、設備投資が増大し、株や土地などの資産価格が上昇した結果、一般的に支出が拡大した。
為替レートも落ち着いた動きをたどった。
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